見所・スポット
東霧島神社の神石
天地が開け、万物が成長し初めた神代の昔。天地創造の神である、イザナギの尊、イザナミの尊が誕生されました。夫婦となられた二人の神様は国土・山川草木に至る私たちの生活に必要な種々のものを生成なされました。
あらゆるものを生み成していく中で、私たちの生活に最も大切な『火の神』をお生みになられたことにより、妻イザナミの尊はこの世を去られたのであります。
夫の神、イザナギの尊はまだまだこの世に残さねばならないことがたくさんあります。愛しい妻よ、今一度我がもとに帰ってくれよと嘆き、悲しめども亡き人は帰る術もありません。
その愛しい妻イザナミの尊を恋い慕う悲しみの涙で凝り固まったのが、『神石』(神裂石・魔石・雷神石・割裂神石)であるといいます。そして、夫イザナギの尊が腰に付けていた「十握の剣」で悲しみの涙で凝り固まった石を今後再びこのような災難に世人が遭わないように…と、深き祈りの心を込めて三段に切ったといいます。『十握の剣』は当神社の神宝であり、厄除け・魔除けの神となり御社殿に鎮め納めております。
霧島神社の大クス
通称性空上人御霊徳幸招大クスと言い、樹齢1000年とも言われますこの大クスは本殿へ登る石段の左側に幹を大きな洞をかかえるようにしてそびえたっております。
この洞をくぐり、右に3回、左に3回めぐり、乳水・龍神水をいただくと無事出産安全であり、病魔を払い、良き運が授かるといいます。
なお、クスの木はこの地方の特産木でありました。クスの樹皮を蒸留加工した樟脳は島津藩財政の収入源でもあったようです。
境内にはイチ・カシなど大木がたくさんありますが、この大クスは東霧島神社の歴史と神話伝説を今日に伝える唯一の古木であります。
鬼磐階段の伝説
その昔、この地方を治めていた豪族で鬼といわれるほど恐れられ、善良なる土民に悪の限りを尽くしていたという。ところで、この善良なる土民の一人に、気品ある娘がおったという。悪しき豪族、その娘を嫁にせんがため、再三口説くもその願いかなわず、ついには田畑を荒らし、土民を困らせたという。土民はほとほと困り果て、ついには守り神である霧島の神様に願いをかけたのであります。霧島の、鬼どもを集めていはく。『この神殿に通ずる階段を一夜にして一千個の石を積み上げたならば、お前たちの願いをかなえ、もし、そのことがなし得られない時は、この地を去れ』と契約をなされたのであります。ある日のこと、夜も更け静まりかえったある時のこと。鬼どもは約束の石段作りに取りかかった。
集った鬼どもはあの怪力をもって!!あれよあれよ!!という間に石段を積み上げていったという。霧島の神ハタと困り、このままでは悪がはびこり、善はすたるの御心にましまして、東の空、しらじと明るくし、長鳴き鳥を集めて鳴かしめ、鬼どもは夜明けと思い、九百九十九個の石を積み上げたところでそうそうに退散したという。
この石階段を鬼磐階段と言い、振り向かずにこの階段を心を込め願い事をとなえながら登ると願いが叶うと言い、『振り向かずの坂』とも言います。なお、今でも霧島の神には鶏を殺し、御供えすることを禁じています。
故有谷の泪雨
『神石』のある谷を故有谷といいます。渦雨というのは「神石」(神裂石・魔石・雷神石・割裂神石)に一滴の水を注ぐと、必ず神南降り注ぐという。昔から早魅の年には社僧に願って、この神石に雨乞いをして五穀豊穣を続けてきたのであります。 明治初年、三島地頭が母智丘神社を建立した時、この神裂石』を人夫を以て五十市の方-運ぼうとしたところ、一天俄かに曇って激しい雷雨が轟き、数ヶ所に落雷し、死者さえも出たので、皆ちりぢりに逃げ帰ったといいます。依って、この石を…雷神石ともいいます。
東霧島神社の龍神
歴史を感じる見事な造りの社殿奥に、雌雄1対の龍が彫られた立派な柱や扉の昇り降りの龍がしっかりと霧島神の守護となり霊験あらたかなる御光をふり注いでいます。
鬼磐階段振りむかずの坂を登りつめた神門脇にそびえ立つ400年の大杉に龍神が現れ、摩訶不思議の現象を呈し、一目を浴びています。
※2018年9月末、台風24号の被害により樹齢400年の大杉が龍神の形を残したまま倒木、お社を守る様に倒れた為本殿に被害が及ぶ事はありませんでした。
竜王神水
竜王は絶大なる幸運・開運・厄除けの力を発揮する守り神として敬われている。
この世で遭遇するさまざまな苦悩から衆生を救うために東霧島大権現宮のゆや谷に鎮座まして霊水を下されている。竜王神は洗心浄代の霊験あらたかで吉祥を授け人々を守護する神秘性をもっている。特に商業の人は銭を洗い身に納め、病の人は霊水をいただくとよい。
宮崎県指定文化財梵鐘
慶長二十年(1615)五月の「大坂夏の陣」に島津宗家代一七代の義広軍勢が出陣する時に諸願成就のために東霧島大権現宮に祈願奉納したものである。